人や環境の欠点への正しい見方、対応

人間は、なにごとに関しても、「欠点」に目がいくとゆう習性がある ···
それ自体は、人間の習性であるから仕方ないことですが、その欠点を意識して、それをストレスにするとゆう、なんともしがたいことが、人にはよく起こる ···
つまり、ここがこうなればええんじゃが ··· と、環境や人に対して、自分に都合良く変わってくれることを期待する感覚でそうなる。
環境や人に対して、欠点を指摘するとゆうことが、どうゆうことかと言えば、生まれつき腕が無い人に対して、
「自分は、あんたのそこが気にいらん。それ、なんとかならんかのぉ ··· 」
と言うようなもん。ムチャな話である。
相手からすれば、
「どうせえゆうんや。どうにもならんじゃないか。」
と、ヘソを曲げて当然。
つまり、欠点を指摘するとゆうことは、どうにもならんことを指摘する、単なる悪口以外のなにものでもないのである ···
欠点に対して、間違った見方、対応をしとるゆうことじゃが、人はそれを認識できん。
こう考えれば、指摘してもしょうがないこと、指摘すべきことではないことがお分かりだと思います。
欠点を指摘する、欠点に着眼すること自体がおかしいことがお分かりじゃろうか。
「優れた人間は、欠点ではなく、長所を見つける能力に長けとる。」
とゆう言葉がある。
そう、欠点を意識してもしょうがないのです。ものごとは、良いところを見つけ、そこを伸ばすしかないのである。こう考えれば、当然のようなことじゃが、その当然のことを認識できん、おろかな存在が人間とゆうものである ···
人間とゆうものは、自分でも気づかずに、あさってのほうにすっとんでいく、どうしようもないものである ···
それは私自身も、よく認識せにゃあいけんことであり、ものごとの欠点を意識して、自分のストレスにするなどとゆう、自分で自分の首をしめるようなおろかしいことは、たった今からやめることを自覚せにゃあ先はない ···